栗の木通信

栗の木エッセー作品11

2008年12月19日

[栗の木エッセー賞]

本年春に創業二百年を記念して募集しました「栗の木エッセー賞」のご応募総数830編のうち、計13作品を連載でご紹介いたします。
独自に持つ「お菓子」への思いがたくさん詰まっています。
どうぞご覧下さい。


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キャラメル
            静岡県 天野美和 様


 「一番下に生れれば良かったなぁ」
子供の頃、不平と羨望の言葉をつぶやいていた。母が籠を背負って買物に行くと決ってキャラメルを十粒買って来るのだ。子供は三人だから、誰かが四粒食べる事になる。三人の子が順番に四粒食べる日が回ってくるならいいのだが、母は必ず弟に四粒与える。
 甘い物など食べられなかった昭和二十年代、その一粒の意味は大きかった。当時のバラ売りのキャラメルは大きく、噛まないで舐めていれば、その甘味と母の乳房のような安心感を味わう事が出来たが、今と大きさは変らず、私が幼かった事と、大事に舐めたせいかもしれない。
 中学生になると姉は家を離れ、私も部活で帰宅が遅くなり、家に居る日は家事を手伝ったり、畑に行ったりで母の買い物を待たなくなったが、もしかしたら五才下の弟はキャラメルを舐めていたのかもしれない。
 あれから半世紀が過ぎ、私にも弟にも孫が出来た。私の孫は誕生日が二月二十九日だ。四年に一度本当の誕生日が来る。今年は二度目の本当の誕生日を迎え、バースディケーキをプレゼントした。名前入りのデコレーションケーキは立派で、孫も大喜びだった。しかしこの豊かな時代に何が味覚に残り、思い出となって大切にされていくのだろうか。小さな幸せに気付かない世の中になったように思う。口の中で確め、スキンシップの如く実感したキャラメルは今でも売っている。
 先日、長期入院をしている長男の床頭台にキャラメルが置かれているのを見た。四十才を過ぎた男性がキャラメルを選ぶ理由は特別なかったかもしれないが、口寂しい時、何故か安心するキャラメルは子供の頃味わったものと同じかもしれないと勝手に思った。一人でテレビを観ながら、有難みもなくつまむお菓子に味は無い。孫のデコレーションケーキも同じだったかもしれない。
 一粒のキャラメルが至福の時間だった時代。お菓子は置かれた状況に依って味が変るのかもしれない。

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