栗の木エッセー作品4
2008年11月28日
本年春に創業二百年を記念して募集しました「栗の木エッセー賞」のご応募総数830編のうち、計13作品を連載でご紹介いたします。
独自に持つ「お菓子」への思いがたくさん詰まっています。
どうぞご覧下さい。
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父の笑顔
鳥取県 漆原正雄 様
父は機嫌のいい日だけ、決まって高価なお菓子を買ってきた。がらり戸の開く音と共に「おまえら、ええもんを買ってきたぞ」と言うしゃがれた声が響けば、今日の父は何かいい事があったのだなとすぐに判った。反対に、父が手ぶらで帰宅した時は、母も祖父母も伯母夫婦も、勿論年端もいかない僕も、波風立たせまいと静まり返った。
父は恐ろしい存在だった。気に食わない事が少しでもあれば、即座に口角泡を飛ばす。卓袱台返しをいう時代錯誤な行為も平気でやってのける。近所の子供を叱り飛ばして、そしてその親とも対立してしまう、単純で血の気の多い人であった。
そんな父だったが、お菓子を片手に帰ってきた日は、性格が逆立ちしたかと思うほど優しい人物になった。食卓の真ん中にお菓子を据えて、テレビでも見ながら家族みんなで摘む。父は楽しそうに仕事の話をし、僕のテストの点数や母の料理を褒めそやす。稀に訪れるお菓子の憩いは、家族全員の幸福だった。
しかし、僕が高校に上がる頃、父は発癌に見舞われた。検査を受けた時には既に手遅れだった。あれほど恐ろしかった父も無論病気には勝てず、病床生活が長く続いた。卓袱台を引っくり返される事も、毎日びくびくする事もなくなったが、僕達家族は日増しに疲弊していった。
そうして半年後の、あの夜の事は今でもしっかり覚えている。意識の朦朧とした父は、必死で最後の言葉を紡いだ。
「お父さんな、今日は特別……仕事が早く、終われそうなんだ。美味い、立派な菓子を、持って帰ってきたるから……へへっ、楽しみに、待っておるんだぞ」
厳格な性格には似合わず甘党だった父は、まるで何か美味しいものでも食べているかのように、口を動かしていた。
以来、僕はお菓子を見ると、父の幸せな笑顔を思い出す。


